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↑ 1978年厚木基地を離陸の為滑走するVP-69のP-3A/Bu.No.150521。Modex-60と言う変わった番号を付けているが、VP-69は、一時期所属機が60番台のModexを使っていた事がある。この機体は、EP-3Aに改装され、その後も次々とタイプを変更した機体である。このA型は、古い機体でA型ブロック30に相当し、量産47号機である。
↑同じく1983年5月White Bearさんが嘉手納基地R/W23で離陸に向かうVP-69のP-3A。機首にも黄白緑のトーテンポール3色のラインが走っており、部隊歴史上恐らく最も派手なマーキングである。
↑ 上の写真の続きかもしれないが嘉手納基地のR/W23-Rで離陸準備するVP-69のP-3A。1980年代初頭は既にA型を使っている哨戒飛行隊は少なく、VP-69の様な予備役部隊以外はB/C型が主力となっっていた。機首の斜文字とチップの斜文字の傾きの方向が異なるのが面白い。
↑ 恐らく3枚上の写真の列線と僅かに日付が異なる時期に撮影されたものだか、Modex 3が2に入れ替わっている所を見ると、VP-69も比較的近い場所に部隊展開していたのかもしれない。資料によれば1983年にはフィリピンのNASキュービーポイントに展開とあるので、嘉手納基地への飛来数も多かったのであろう。

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尾翼にトーテンポールのマークを入れたVP-69は、他の多くの予備役哨戒飛行隊と同様1970年11月に創設されている。本拠地は、ワシントン州 NAS ウィッドビー・アイランドでSP-2Hネプチューン哨戒機12機で編成されていた。5年後の1975年11月にP-3Aオライオン哨戒機に更新し、1978年頃からは、グァム島のアガナ海軍航空基地(NAS Agana)に分遣隊を派遣するようになる。それまで 予備役哨戒飛行隊は、殆ど対潜哨戒の実任務に就いていなかったが、この年あたりから第一線の任務にも就くようになったそうである。1981年1月に本拠地 NAS ウィッドビーアイランドで事故が発生し、P-3A/Bu.No.152161が不時着で失われている。(死者は無し)、また 1981年5月からは、5機の分遣隊が沖縄の嘉手納基地に展開している。この期間、ベトナムを脱出するボートピープルの監視業務などで111回の出動があったと記録される。
部隊は、1987年1月P-3Aの発展型に更新し、その際対艦ミサイル ハープーンの運用が出来るようになった。1992年10月にはP-3Cに更新している。(2006年6月 記)

↑ 1979年3月 ワシントン州NAS ウィッドビー・アイランドで撮影されたVP-69のP-3A/Bu.No.152175。


↑ 1978年横田基地に飛来したVP-69のP-3A/Bu.No.152173。


↑上述した1978年にウィッドビーアイランドで事故により破損し廃棄されたP-3A/PJ-00。但しこの機体ではなく、後にP-3A/PJ-4/Bu.No.152152↓が引退の際にこの機体の塗装をされて、NASペンサコラに展示されていた事がある。P-3A/Bu.No.152161


↑ 1979年厚木基地に飛来したVP-69のP-3A/Bu.No.152167。この機体も一時期Modex-66を使った事がある。後にこのP-3Aは、ブラジルに売却され、ブラジル空軍のP-3AMとして、アマゾン流域やプレソルト地域の天然資源の監視と保護に使われたが、もちろん電子偵察と対潜任務にも使ったとある。
↑White Bearさんが1983年5月に嘉手納基地旧海軍エリアで撮影されたP-3の列線、当時はVP-48が嘉手納基地展開していたようだが、列線の中にはVP-69以外にVP-19やVP-31等が外来として飛来している何とも豪華な顔ぶれである。
↑基本的に上のマーキングと大きな相違はないが、”PJ"のテールコードが斜文字になり、チップにModexナンバーが入った。ぢかし下に展示したWhite Bearさんの1983年に撮影された機体のように、機首のModexまで斜文字の時代もあったのだ。本機はVP-69現役時代はModex”PJ-4だったが、塗り替えられて博物館展示となっている。P-3A/Bu.No.152152